ホワイトな保育園が出来るまで

ブラックだ、過酷だと言われる保育業界。ホワイトな保育園は実現不可能なのか?会計や労務を踏まえ、現場の裏話も交えつつ記載していきます。

「助けたい」気持ちとリスクの話

【ちょいすけ】の概要などは下記リンク先を参照ください。

sakura-mirai.hatenablog.com

 

「助けて」を気軽に言えるように、と既存の行政サービスよりもゆるやかな設定にしている【ちょいすけ】ですが、その裏側には様々な想定と覚悟があること、リスクについてを今回は記載したいと思います。

というのも、同じように「何か力になりたい」と考え、行動に移そうとしている方が多くいることを知る機会があり、同時にその想定や設定が十分かを懸念する声を目にしたためです。

また、私が個人で無償の活動をすること自体を心配して下さる声もあり、これまでの発信の仕方だと、活動に関してのリスク面や想定に対しての記載が薄かったと感じたので、補足することにしました。

 

そもそもとして【ちょいすけ】に限らず、子供を巻き込む活動というのは、とりあえず見切り発車してそれから考えればいいという範疇のことではないと思っています。色々と書くことが、かえって利用者の「助けて」を言いづらくさせてしまうかなと、【ちょいすけ】紹介記事ではかなり割愛していますが、バックグラウンドでは種々の想定と対策は存在しています。

今回、私が【ちょいすけ】を事件を知ったあとすぐに稼働させた経緯としては、元は【コンシェルジュサービス】として【ちょいすけ】に近い、有料の支援サービス運営をしていこうと段取りをしていた点があります。これによって、家庭に訪問する場合のリスクやその対策、当方の施設に受け入れる場合の段取りやリスクとその対策などは、大筋が整っていました。

ちなみに、元は有料サービスで設定といっても、儲ける目的ではなく、子育て世帯のサポートを主軸に稼働の実費くらい出るといいなという段取りにしていました。そのため、今回緊急措置として無料でやる範囲を設けたからといって、自らの生活が困るようなこともありません。ボランティアは持続性がないと意味がありませんので、基本的には、【ちょいすけ】も無理のない形で継続が出来るようにと見通しを考えています。

そして、ベースに保育園の運営があることで、行政機関との関係性や、いわゆる「通常の育児」で知りえることよりも、多くのことを持ち合わせている点があります。

例えば、怪我や病気、アレルギー対応など、様々な事故発生例とその検証に基づく事故防止策を軒並み叩きこんでおくことはもとより、保護者支援なども園の業務になりますので、傾聴訓練や公的な各種機関への結び付けなどもベースには持ち合わせているといえます。(当然に、各分野の専門家には到底及びませんので、自己過信せずに早期の段階で専門機関に回すことは前提です。)

その上で、展開を前倒しにした理由としては、地域事情の中でずっと自らの中で悶々としていた課題があったためです。つくばみらい市はここ数年で爆発的に子育て世帯が流入してきた地域で、顔なじみがいない、全く見知らぬ土地、という家族が少なくありません。

子育て支援センターなど行政も頑張っている側面がありつつも、なんだか行きづらいという声を聞く機会も多く、過去の自分もそうだったので、そういった親の気持ちもよくわかります。

園児と公園にお散歩に行った際に、親子がぽつんと遊ぶ姿を見るのも珍しくありません。でも、園の現場を切り盛りしている時にそういった親子と一緒に遊ぶことは出来ない。「急に妻が入院になってしまって、明日から一時保育を使いたい」と電話が来ても、園の規則としては受けられない。ならば、どうすれば、何ならば出来るだろうかと思案を重ねての今に至っています。

 

*行動を批判したいわけではない

声をあげたり議論をするだけでなく、同時に今まさに苦しんでいる人の力になりたい。私もそう強く思っていますから、そういった思いを持つこと、それを行動に移すことを批判するつもりはありません。

ただ、せっかくの「助けたい」という思いや善意が、悪用されたり、悲しい結末に向かってしまったりすることは、残念なことだとも思います。

私自身も完璧ではないですが、もし、行動をしようかなという人にとって少しでも参考になればということで、以下にリスク面をより詳しく記載していきます。

 

*悪意は存在する 

【ちょいすけ】は性善説に立つとしていますが、これは、「利用者」について性善説に立って設計をしたというだけであり、「支援者」については異なります。

支援者のフリをした悪意が存在するのは、悲しいことに現実です。子育て世帯への支援に限らず、日常から弱者を狙った詐欺や悪質な行為があるのはもちろん、災害時を狙った詐欺や窃盗などもあるのが現実です。

ただでさえ限界の状態に近い「利用者」が、支援者のフリをした悪意を見極められるかどうかという点も「支援者」側がきちんと考え、利用者がより正確に判断が出来る環境を作ってあげることも「支援」の1つとして重要なことです。

「利用者」が適切な「支援者」を選べないのは自己責任と切り捨てるには、今回の支援の対象とする人達には負担が大きすぎるのではないでしょうか。そもそも、その気力が残っていたら、行政なり他のサービスを探しているはず。

そう感じたため、私は今回の【ちょいすけ】に賛同してくれる支援者からは、寄付や物品はいただくとしても、活動へ参加してもらうことは考えていません。悪意のない支援者かどうかを私が常に100%見極められるとは思えないほか、そういった精査する行為にさく時間も労力も持ち合わせていないためです。

 

*意図せぬ事故

よかれと思ってやったのに。こんなことになると思わなかった。想定外だった。

「支援者」にとって、そう言いたくなることが起きるかもしれません。でも、「利用者」はそれを納得できるでしょうか。「支援者」を責めつつ、その「支援者」を頼った自己をも責める。「支援者」もまた、自己を責めるでしょう。そして被害を被る可能性が最も高いのは、子どもであり、取り返しのつかないことになる可能性がついてまわります。

ママ友関係のこじれから、子どもが殺害された事件。じいじばあばの手元から子供が行方不明になる。親族の運転する車に子供が敷地内で轢かれる。学校や幼稚園、保育園などですら、子どもが不慮の事故に見舞われることはゼロではありません。

行政機関など公的なサービスには、まどろっこしい制約があったり、手間や時間がかかったりすることもありますが、それらの多くには、こういった「意図せぬ事故」を最小限にするための事項も多く存在します。

それを省略するということは、「支援者」側が自らそういった「意図せぬ事故」をなくすような環境を徹底的に整える必要もあります。

 

*足並みを揃えることの難しさ

例え同じ思いや願いで集まった集団であっても、10人いれば10人の価値観と経験や思考があります。同じママ同士だから、パパ同士だから、というだけでは対処できない事態も山ほどあります。

そして子供達もまた1人1人が異なり、「うちの子の時はこうだったよ」が当てはまらないことも当然にあります。

医師などの専門性の高い分野ですら、ある立場から見ればAとする方が望ましいと判断されるようなことも、別の立場からの最善のためにはBだと判断されることがあるなど、「子の最善」における正解は必ずしも1つとも限りません。

複数人で活動を行う場合において、その組織としての判断軸を明確にすることや、それが専門性としてどうなのかという判断を誰が行うのかということ。全員が守っているかの管理をし続け、守られていない行為に対して誰がどう対処し、責任を負うのか。

力を合わせて、手を取り合って、助け合おうという気持ち自体は素晴らしいことである一方で、同時に考慮しなくてはいけない課題もたくさんあることは事前の想定が必要と言えます。

 

*自己を守れるか

おぼれている人を助ける時に、正しい知識や技術を持ち合わせていない人が近寄ると、要救助者が増える結果になるように、「支援者」側がリスクを負うことも想定が必要です。特に、ママ同士、パパ同士と、現役で子育てをしている人は、そのリスクを自己だけが負うのではなく、そのお子さんにまで影響を及ぼすことも想定が必要です。

善意でしたはずのことでも、相手にとって不都合な結果となった場合に、想定している以上の非難を受けたり、物理的な攻撃を受けたり、訴訟や大きな事件に発展したりする可能性もあります。

近所付き合い、親戚付き合い、ママ友付き合い、などの間柄でも、どこかしらで事件が起きているのが日常です。意気投合して仲が良かった間柄でも、急に険悪な関係になることも普段からあります。

子育てに疲弊している人は、「正常」ではない状況にある可能性が非常に高く、そういった相手を前に、自分は知識や技術、経験を十分に積んで対応が出来るだろうか、ということを考えることは、相手のためだけでなく、自らを守るためにも、とても重要なことです。

 

 

何かあったら、それを背負っていかなくてはいけない。これは元々、保育園でも抱えていることです。そのリスクは、ボランティアでまで背負うべきことかどうか。正直わかりません。でも、このまま園で解消できない葛藤を抱え続けて、市内で誰かの限界が訪れたら、どうしてもう少しだけ早く動かなかったんだろうと後悔するなと思い、踏み切りました。

そして、活動は私1人でする、と言っていますが、厳密には1人ではありません。それはバックグラウンドに「何かあった時にお願いする先」というものがそれぞれに存在しているからです。そういった人達がいてくれるからこそ、動けます。

最後に、【ちょいすけ】はあくまでも緊急措置としての活動と考えています。ファミリー層の流入も数年内には落ち着きを見せるでしょうし、地域活性化が進んだり、行政サービスとの距離が縮まったりすることで、誰からも【ちょいすけ】が要らなくなるような環境になるといいなと、願っています。