ホワイトな保育園が出来るまで

ブラックだ、過酷だと言われる保育業界。ホワイトな保育園は実現不可能なのか?会計や労務を踏まえ、現場の裏話も交えつつ記載していきます。

手厚い人員の重要性

久しぶりの更新となった。

新型コロナで社会的に色々と不安定さが見られる。

そんなタイミングだが、あえて、保育士の求人を出すことにした。

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当園は、限られた収入だから、支出を抑えましょうとする結果、全体にとって良くない環境になることは望ましくないというスタンスでいる。

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しかしながら、当然にある程度の限界はあるわけで、直近に関しては保育士の追加採用をするか、しないか、ギリギリのところでずっと迷いがあった。

特に、幼稚園や大規模園への転園予定があったことから、3月までを乗り切ればという思いも強く、今思えば、どちらかというと「収入をふまえて支出をおさえよう」という気持ちに寄っていた。

そんな中、新型コロナの感染拡大防止のために、休校の要請がなされたことで、長期にわたって影響の出てしまう職員が発生した。

普段から配置基準より手厚い環境にすることで、急な欠勤にも対応できる体制にしているとはいえ、それはあくまでも突発的な1日から数日の間に、1,2名程度までのことであり、さすがに1か月近く、何人もの欠員が出ても大丈夫なほどの余力は無い。

とはいえ、全国で休校が実施されたとしても、幼稚園も休園となったとしても、保育園には【福祉施設】としての役割を最後まで担うことも求められている。

結果的に、職員に過度な負担をかけてしまう可能性を前に、やはり、人員は多少余剰であっても、充実しておく必要があると感じたのだ。

ということで、急募ではなく、現場もカツカツではない今回の求人。

是非、保育を頑張ってみたい方はご応募いただきたい。

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持ち物への記名はなくせるのか(その3)

記名をなくしたい経緯はコチラ

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解決の糸口編はコチラ 

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【解決案】あらゆるものを園の備品として、使用料を保護者に負担してもらう

例えば、給食のお皿や玩具など、園全体の物を皆で使う場合には、どれが誰のかという問題は生じない。これは、「持ってきてもらう」ことも「持ち帰り」もしないからである。

とどのつまり、記名が必要な1番の理由は、「持ってきてもらう」ものを適切に「持ち帰り」させる必要があるからだということになる。

となれば、個人的な持ち物を排除してしまい、全て園で用意し、使ったら園で洗浄などをして園で保管をしておけば良いということになる。

しかし、この場合には以下のような課題が考えられる。

 

*登降園時に着用する衣類は家から着てきて、家に着て帰る必要がある。

この点は、制服などの指定服にすることで、登降園時に着用する服は1セットになり、記名は初回だけすればよくなる可能性はある。

→成長の著しい時期なので、サイズアップの回数などを考えても保護者の金銭的な負担が増えてしまう。

→登園した時点で園の備品の服に着替えさせるという工程が発生する。登園対応のある時間帯は玄関先に人員が1人とられるため、現場が手薄になりやすい。着替えという工程を増やす場合、残りの児の事故リスクが増える。また、分離不安で泣いていたり、不安定になっていたりするなどの児の心理状態や、お着替え自体がイヤイヤなどの発達時期などを考慮すると、大人の都合でその着替えのタイミングを増やすことが望ましいのか疑問がある。

→降園する際に、指定服に着替える必要がある。降園時間がバラバラなので、特定の時間に一斉に着替えてしまうと、降園までに汚れる可能性が高い。指定服制度にする場合には「なるべく指定服を汚さないでほしい」と思う保護者が発生する可能性は高いので、配慮負担が増える。着替え中の他児の安全管理や子供にとっての最善かという点では登園時と同じ課題も発生する。

 

*肌着や靴下、歯ブラシ、スプーンセットなどの衛生用品を共用することは出来ない。

この点は、指定商品を園を通して購入してもらい、それに園が記名をしてしまい、その後は園保管にしておくことで、解決出来る可能性がある。

 

*オムツなどの消耗品は費用負担をどう設定するのか。

この点は、保育料と同じく定額制での理解を求める必要がある。(使用量に応じた費用負担をとなると、使用量の記録をしなくてはいけなくなるため。)

ユニチャームのオムツ定額制は個人的には画期的な取組みだと思っているが、「自分で買って名前を書く方が節約出来る」と感じる人も少なくない。

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*園での衣類の洗濯の手間が発生する。

この点は、洗濯(管理)費用を保護者に負担してもらうことで解決出来る可能性がある。

→人件費+水道光熱費の実費相当を割り出した最低限の徴収とするとしても、保護者にとっては追加負担になる。家庭の洗濯管理の手間が減っていることを説明するとしても、他の家族の分と一緒に洗うだけなので家でやれば追加の支払がないのにという心情は十分に起こりえる。(不満足度の増加)

 

*園で衣類の用意・管理が発生する。

この点は、中古衣類を活用することで、費用を最小限にして解決出来る可能性がある。

 

*導入を前向きに検討する際に、特に重要になること

・子供の最善

→1歳クラス後半から2歳クラスで既に「これは自分の、これは自分のじゃない」という意識がある。昨日は自分が着ていた服を、今日は別の子が使っているというような環境は、子供にとって混乱の原因とならないだろうか。

仮にこの服は常に〇〇君が着るもの、などと固定する場合には、結局「誰の」という管理が発生する。〇〇君は常に青、など特定の色を園児に固定してしまえば、「記名をせずとも所有者が判断出来る」やり方ではあるが、園児の情緒発達において望ましい方法とは言えない。(本人が好き好んで特定の色を身につけたがることは良いが、大人が決めてそれだけを使用することを強制することは望ましいとはいえない。)

 

→発達を考慮しても、自己だけの世界から、他者という存在への関心が育まれていく時期に、少しずつ自分の・お友達の・みんなの(一緒に使う、順番に使う)などの様々な場面を経験するという点でも、常に園のものを使うという環境が最善かという課題がある。

 

・保護者の心情

→記名忘れを殆どしていないと思っている保護者にとっては、現状のままでいいではないかと思う可能性が高い。特に、追加で費用の負担が発生する内容は、額の大小に関わらず心理的な抵抗が多い。十分な説明と理解を得る必要がある。

 

→記名忘れをしがちな保護者であっても、費用負担を避けたい気持ちは同じくもつため、十分な説明と理解を得る必要がある。中には、自己のミスを責められたと感じてしまう人もいる可能性がある。自己のミスを責められたと感じる人の中には、反省(自己嫌悪に陥る)というケースだけでなく、相手に対してかえって攻撃的になるケースもある。いずれにしても、そういった点を考慮すると、「記名忘れが多いので解決するため」ということをハッキリと言えない可能性もある。その場合に「十分な説明と理解を求める」ことは可能なのだろうか。

 

→マイナスな心理としては、今後の費用負担の発生(追加の支出)の点だけでなく、先を見越して(園で使うようになる前提で)多めに服を買っておいたのに(既に支出をしたものが無駄になる)、それならこの服には名前を書かなかったのに(既に記名をした行為が無駄になる、記名を本当はしたくない服だったのにという感情)なども考えられる。

 

・職員の負担

→登降園時の着替えの増加は明らかに保育現場での負担増なので、この点をよりクリアに出来ないと現場の最善とは言えない。記名状況の確認の方が楽(かつ安全に行える)となる可能性は高い。

 

【結論】

惜しいところまでいけたように思うが、現時点では今一歩。

引き続きいい案を考えてみたい。

 

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持ち物への記名はなくせるのか(その2)

園児の持ち物への記名をなくす方法について掘り下げてみたい。

記名をなくしたいと思う経緯はコチラ。

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*保護者のどんな事情で記名忘れが発生するのか?

・記名したと思い込んでしまう(確認の不足)

・忙しくてそこまで気が回らない(時間の不足)

・面倒くさい、気付いたけどまぁいいかと思ってしなかった(意識の不足)

 

1.【確認の不足】に対して現状行っていること

・記名無しの物が生じた際に、お願いをする。

・衣替えの時期や、全体で無記名が増えている時などに、連絡帳アプリでお知らせをする。

 

2.【時間の不足】に対して現状行っていること

・園で記名対応をする。(記名無しの物が確かにその家庭の物かの確認を行った上で、許可を得てこちらで記名をする)

・お名前スタンプなど時間削減に役立つ商品の案内をアプリでお知らせする。

 

3.【意識の不足】に対して現状行っていること

・お願いの徹底(なぜ、名前がないと困るかの背景を繰り返し説明する)

 

4.現状の対策の課題点

どれも、相手に行動や意識を変えてもらうことが前提になっている。

 

*記名のチェック必須の状況は何故発生するか?

「家庭で〇〇をしてくる」という構造により、記名の有無というばらつきが発生してしまっている。出席シールや自由帳など、園でまとめて購入してそのまま使うものは、園で一斉に記名をするため、記名漏れが発生しない。

→個人の持ち物も園で記名をしてしまえば良いのではないか?

 

*園で記名をする方式のメリット、デメリット

・メリット

→保護者側の記名負担減少

→「記名をしてください」というお願いを保護者にしなくてよくなる。

・デメリット

→園で記名する工程の増加(記名自体はやっぱりなくならない?)

→持参品の状況の確認という工程は減らない。

家庭で洗濯をした衣類を持参する際に、常に一定の衣服を持ってくるわけではない。つまり、登園時の持ち物の中に、新たに持ってくる物(無記名)と、既に園で記名したことがある物が混在する。記憶で「これは一昨日に記名したはず」としてしまうと、記憶違いも起こりえるほか、全く同一の服を複数持っている場合などもあり、結果的に無記名の物が活動中に判明ということを引き起こしかねない。

 

こうして整理してみると、【持参品】という点を解決できれば、記名から解放されそうな気がしてくる。

つづきはコチラ 

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持ち物への記名はなくせるのか(その1)

「持ち物には名前を書きましょう。」

保育園に限らず、集団の場に行く際にはほぼ発生する記名。誰の物かを正しく判別するためには、記名は必要である。このことは大人の多くは頭では理解出来るだろう。

 

しかし、園児の持ち物について「名前がない」ということは数日に1回くらいは発生している(当園調べ)

 

小規模なので、ある程度は個人の持ち物の色柄を覚えられたり、お揃いでもサイズが違ったり、片方には記名があることで消去法に出来たりと、「どうしよう、完全に誰のかわからなくなった」ということは起りづらい。

それでも、こと衛生用品などは誤って他児の物を使わせることは望ましくないので、後から「誰の」とならないように、登園時点で鞄に入っていた物は記名チェックをしながら出すようにしている。

しかし、登園時間帯に1つ1つの記名の確認というのは正直なところ手間ではあるし、衣替えやサイズアップの時など枚数をまとまって持参した時や、園児の状況によってはそれどころではなく、全ての記名を確認出来ないこともある。かといって、記名確認のための職員を増員というのも非現実的だ。

 

また、これは完全に個人の意見だが、保護者に記名が無い事実を伝えることや、記名をお願いすることは、すごく気を遣う。

保護者も人間だからうっかりがあることも、忙しかったり、気持ちに余裕がなかったり、手間だったりというのも理解出来るからだ。

或いは、単に記名忘れというだけでなく、書いていたけれど消えてしまっている(貼っていたけれど取れている)ということもあり得る。

1人1人の保護者にしてみれば、たまたまの1回。でも、入れ替わり立ち替わり誰かしらで発生していると、この気を遣うストレスは、ちりも積もれば式で負担感が増す。

 

持ち物管理や保護者対応も仕事のうちと言われればそれまでだが、そもそもとして、別の手段や機械化によって、しなくても済むことはなるべく仕事から無くせばいいと思っている。

記名忘れ自体が、特定の人にだけ発生する問題ならば別だが、殆どの家庭で複数回は発生している以上、保護者にとっても「記名しなくてよくなる」ことは負担減(いいこと)なのではないかと思っている。

 

どうすれば記名をせずに済むか、まずは現状の分析から始めたい。

つづきはコチラ

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賞与の加算額算定を世間に委ねてみる

Twitterの指定投稿の【いいねとリツイートの数×10円】を園の予算とは別で賞与加算金として支給することにした。

というのも、職員の夏季賞与支給を7月に控えて算定をしながら、「園の予算とは別に上乗せで払いたいな」という気持ちが今期はより一層強くなったものの、その額をどの程度にするかを色々と検討していた。

そんな時に、少し前Twitterで「#保育士さんありがとう」などの気持ちを表明してくれた動きを思い出し、世間で応援してくれる人の気持ちを何らかの方法で形にして現場に還元をしようと思った次第だ。

職員にも【世間からの頑張れの思い】を形にした加算だと説明したいので、是非とも、いいねやリツイートをしてほしい。

なお、上記の基準で算出した額は全額を自己負担で用意し、職種や経験年数を問わずに、所定労働時間に比例した額で全職員へ配分をするつもりだ。

※通常の賞与はきちんと業務の内容や役割、能力などで算定をし、園の予算の中から支給をする。何も適当に賞与を払おうとか園の予算で遊ぼうということでない点はご理解いただきたい。

 

こんなことを思い立ったのは、やはり2019年の上半期には、保育園や保育士に強く影響のある事件が多かったように感じ、【保育園で働き続けてくれることそのもの】に感謝を込めて加算をしたいと思ったからだ。

不測の事態、不慮の事故というのは、自然災害も含めて、職種や状況を問わず誰しもに訪れるものだが、【保育園で働くからこそ巻き込まれてしまう可能性のある】事象というものも確かに存在し、【保育園で働くことを選ばない】だけで自分の身には起らないように出来ることもまた事実だ。

特に、園庭の無い当園では、(それが保育として望ましいかの議論は別として)園庭から外に出ずに外遊びをするという選択肢すら無い。

戸外活動は欠かせないという判断のもと散歩を継続しているが、現場職員は追突事故後はより一層の神経をすり減らしながら、無差別殺傷事件後は万が一への不安感が増しながらの戸外活動に臨む様子がある。(当然に子供達の前ではそんな様子は見せていないが。)

保育士に限らず、調理や事務の職員も含めて、常に他人(それも幼い子供)の人生のリスクを背負いながら働かないといけないのが保育園という場だ。

例え事故や事件がなくとも、常に気を張って、子供達の安全を第一に真剣に保育はしているが、【まさか】の事故や事件を現実として受止めた時、人間の心情としてより一層のプレッシャーや不安感を抱いてしまうのは当然だろう。

どれだけ配置を手厚くしても、残業をなくしても、機械化や効率化で働きやすい環境へと尽力しても、人間である以上、職員自身がこういったプレッシャーに耐え続けることが心理的に難しくなってしまったら、保育園で働き続けることは出来ない。

わかってて選んだ仕事だとか、医療従事者はもっと重いとか、運転手はもっと多くの命を預かっているとか、色々と言い出したらキリはないし、保育園の関係者だけが苦労しているとか、特別だとか言いたいわけでも無い。

それでも、この仕事を選び続けてくれる職員達のおかげで子育て世帯の支援や、次世代への支援が出来ることも事実なので、どうかより多くの人に「お疲れ様」の気持ちで寄り添ってもらえたら嬉しい。

 

ちなみに最初はクラファンなど、財源自体を皆さんから支援してもらう案も考えた。というのも、個人的には、中長期では保育事業には企業や個人を含めた様々なスポンサーがつく寄付的な仕組みが一般になり、公的資金以外の予算がもっと増えるといいとも思っているからだ。

公的資金はどうしても不正防止や無駄遣いにならないようにという点の考慮面も強く、また、どこからが贅沢(無駄遣い)でどこまでが必要な支出かという基準も、個人の価値観の差も大きいため、制度的な予算の充実へのハードルは高いと思っている。

ただ、いきなり「もっと保育関係者の待遇をよくしたいから、お金で支援してください!」と言うのも違うよなと思い、まずは「保育業界、頑張って」と思ってくれる人の声を、自力で形にして現場に還元する行動から始めようと思った次第だ。

保育料無償化など政策への色々な意見が出ることや、保育現場が声をあげていくことも当然に大切だと思っている。一方で、不満表明や批判とか議論とかだけが続く状態だと、少し気が滅入ってしまうようにも感じている。

不満も改善点も多いけど、それが変わるまでに時間がかかる以上は、声もあげつつも、変わるまでの間も頑張り続ける現場の人たちが、希望を持って頑張っていけるような気持ちにもなれる雰囲気も、同時に作っていきたいと思っている。

せっかく保育現場への気持ちを世間が持ってくれて、多くの人がそれをネット上で発信してくれるなら、それをちょっぴり楽しくなるような形で現場に還元出来るやり方に出来ないか、そんな風に願って行動にしてみた。

 

※資金での支援自体は非常に助かるので、もしも「これも賞与に加算して」というお気持ちをいただける方、企業さんが居れば、是非メールやTwitterのDMなどからご連絡を頂ければ嬉しいです。全額を賞与加算として職員に還元します。

 

twitter.com

 

最後に以下は余談だが、当園は内閣府からの補助を受けながら運営しているものの、これは利益が出るような仕組みではないことは以前の記事のとおり。

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なので、算定根拠として利益の何%を加算とか、余剰金を賞与加算で払うなどの選択肢はそもそも存在しない。

また、直近で園歌を作ったとか、アニメーションを作ったとか発信をしているので「そんなお金があるなら、それを職員に払えば?」と考える人もいるかもしれないが、それらは当然に園の予算からは出ていない(そもそもが自腹)ということは念のために添えさせてほしい。

 

※本件に関するご意見やご質問はメールにて承っています。

info@sakura-mirai.com

園へのお電話や直接の来訪はご遠慮ください。

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写真がもたらす保育現場改善3つの効果

今月からポツポツと開始している、保育写真の新たな試みが早くも効果が出ている。

従来の【保育中の園児写真】は、保育従事者が合間に携帯で撮影をしていたが、一眼レフを用意し、事務スタッフ(=保育に直接介入しない職員)を新規雇用して庶務の傍らで撮影も担ってもらうことにしたのだ。

 

1.「できていない」という心理負担が減る

最も効果的な変化は、外遊びの写真。

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当園には園庭がないため、外遊びは近隣の公園を使っている。

園庭であれば、外周に完全に柵があったり、植栽や遊具も園児に適した環境が整えられる。しかし公園では、すぐ横が道路だったり、低い位置に枝のある植栽やロープ、岩などの危険箇所がどうしても存在する。

そのため、安全管理をしながら保育を行いつつ、写真も撮影するというのは非常に困難になってしまう。

困難な中でまで、無理矢理にでも写真を撮れとは言っていないが、やはり保育士の心理的には『せっかくの場面を残してあげられない』『保護者に様子を見せてあげられない』という葛藤が残り続けるのも現実だ。

気にしなくていいとどれだけ伝えても、『出来ていない』と感じてしまうことが積み上がることは、自信低下や仕事へのモチベーション低下をもたらすと感じているので、1つでもそういった要因がなくせることは重要だ。

 

2. 文章作成の負担が減る

室内遊びでも、変化がもたらした影響は大きい。

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友達との関わりも少しずつ増えてくる2歳児達も、まだまだ保育士の仲立ちが必要なことが多く、目が離せない。どれだけ仲良くしているワンシーンでも、ふとした行き違いから一瞬で着火し、手や足が出てしまうことも少なくないからだ。

玩具を持って転倒したり、予想外の行動をしたりということもあるので、やはり室内でも撮影だけに集中するということは難しいし、粘土遊びなど保育士も一緒に活動をしている場合には物理的に撮影が出来ない。

そのため、保護者に1日の様子を伝えたいという思いは連絡帳(=文字)に込めることになり、限られた時間の中での文章作成(ありありと思い浮かぶように表現しつつ長くなりすぎない文章だとか、1日のエピソードの取捨選択など)に苦戦する様子が見られていた。

今回の変化により、子ども達の生き生きとした活動場面を安全に捉えられる機会が増え、その日の活動の様子の多くを写真で効果的に伝えられるようになった。

これにより、写真の補足となるような背景エピソードや、写真には無い場面で伝えておきたいエピソードを書くなど、連絡帳の文章作成における負担も減るといえる。

 

3. 保護者が喜ぶ

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『楽しく通えているのだろうか』『お友達と仲良く遊んでいるのだろうか』『先生とどんな風に過ごしているのだろうか』そんな思いは、多かれ少なかれ保護者として抱くだろうし、特に子ども自身との言語でのコミュニケーションが難しいうちは顕著だろう。

保育士も前述のような連絡帳での努力のほか、送迎時にもなるべくコミュニケーションを取るようにしているが、それ以外の児の安全管理も必要だったり、保護者側も急いでいたりと、どうしてもしっかりと話し込むことは難しい場合が多い。

そのため、子ども達の様子が最も効果的に伝わるという点でも、写真は非常に重要になってくる。保護者とも互いに気持ちよく関わっていくには、不安や気がかりは少ない方が良好な関係性を作りやすいため、より安心してもらえる役割を写真が担ってくれることは大きいだろう。

そして、同じ写真でも、やはり携帯のカメラでの1枚と一眼レフでの1枚は表現できる雰囲気が格段に変わることを実感している。

保育園という性質上、保護者も仕事と育児の両立で忙しい人も多く、朝晩や休日もバタバタしてなかなか子どもの日常写真を残せない、残せても携帯でパチリということが多いかもしれない。子どもの今しか無い瞬間を残しておきたいという思いは、我々以上に保護者も抱きながらも、残せていないと感じる場面があるのではないか。

まだ3日ほどの導入の段階で、多くの保護者から「素敵な写真がいっぱい」と反響が大きく、購入が増えている様子に、そんなことも感じた。

 

おわりに

1つ1つは小さな変化かもしれないが、保育現場をより良くするには、抜本的な労働環境の改善だけでなく、同時にこういったことの積み上げも大切だと考えている。

そして、【ちゃんとした写真は行事のとき】というような先入観が自分にあったこと、その先入観を取っ払うことで変えられた部分があったことで、まだ気付いていない思い込みや、それによって生じている課題があるのだろうなと痛感もしている。

 

ちなみに、今回の変化のきっかけとなったのは、佐賀県のフォトスタジオ【ハレノヒ】さんとの偶然のご縁。 

halenohi.com

最高に素敵なフォトスタジオなのはもちろん、事業理念、行動力や想いなど、尊敬してやまない企業だ。ぜひ一度訪れてみてほしい。

 

園のHPはコチラ↓

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「助けたい」気持ちとリスクの話

【ちょいすけ】の概要などは下記リンク先を参照ください。

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「助けて」を気軽に言えるように、と既存の行政サービスよりもゆるやかな設定にしている【ちょいすけ】ですが、その裏側には様々な想定と覚悟があること、リスクについてを今回は記載したいと思います。

というのも、同じように「何か力になりたい」と考え、行動に移そうとしている方が多くいることを知る機会があり、同時にその想定や設定が十分かを懸念する声を目にしたためです。

また、私が個人で無償の活動をすること自体を心配して下さる声もあり、これまでの発信の仕方だと、活動に関してのリスク面や想定に対しての記載が薄かったと感じたので、補足することにしました。

 

そもそもとして【ちょいすけ】に限らず、子供を巻き込む活動というのは、とりあえず見切り発車してそれから考えればいいという範疇のことではないと思っています。色々と書くことが、かえって利用者の「助けて」を言いづらくさせてしまうかなと、【ちょいすけ】紹介記事ではかなり割愛していますが、バックグラウンドでは種々の想定と対策は存在しています。

今回、私が【ちょいすけ】を事件を知ったあとすぐに稼働させた経緯としては、元は【コンシェルジュサービス】として【ちょいすけ】に近い、有料の支援サービス運営をしていこうと段取りをしていた点があります。これによって、家庭に訪問する場合のリスクやその対策、当方の施設に受け入れる場合の段取りやリスクとその対策などは、大筋が整っていました。

ちなみに、元は有料サービスで設定といっても、儲ける目的ではなく、子育て世帯のサポートを主軸に稼働の実費くらい出るといいなという段取りにしていました。そのため、今回緊急措置として無料でやる範囲を設けたからといって、自らの生活が困るようなこともありません。ボランティアは持続性がないと意味がありませんので、基本的には、【ちょいすけ】も無理のない形で継続が出来るようにと見通しを考えています。

そして、ベースに保育園の運営があることで、行政機関との関係性や、いわゆる「通常の育児」で知りえることよりも、多くのことを持ち合わせている点があります。

例えば、怪我や病気、アレルギー対応など、様々な事故発生例とその検証に基づく事故防止策を軒並み叩きこんでおくことはもとより、保護者支援なども園の業務になりますので、傾聴訓練や公的な各種機関への結び付けなどもベースには持ち合わせているといえます。(当然に、各分野の専門家には到底及びませんので、自己過信せずに早期の段階で専門機関に回すことは前提です。)

その上で、展開を前倒しにした理由としては、地域事情の中でずっと自らの中で悶々としていた課題があったためです。つくばみらい市はここ数年で爆発的に子育て世帯が流入してきた地域で、顔なじみがいない、全く見知らぬ土地、という家族が少なくありません。

子育て支援センターなど行政も頑張っている側面がありつつも、なんだか行きづらいという声を聞く機会も多く、過去の自分もそうだったので、そういった親の気持ちもよくわかります。

園児と公園にお散歩に行った際に、親子がぽつんと遊ぶ姿を見るのも珍しくありません。でも、園の現場を切り盛りしている時にそういった親子と一緒に遊ぶことは出来ない。「急に妻が入院になってしまって、明日から一時保育を使いたい」と電話が来ても、園の規則としては受けられない。ならば、どうすれば、何ならば出来るだろうかと思案を重ねての今に至っています。

 

*行動を批判したいわけではない

声をあげたり議論をするだけでなく、同時に今まさに苦しんでいる人の力になりたい。私もそう強く思っていますから、そういった思いを持つこと、それを行動に移すことを批判するつもりはありません。

ただ、せっかくの「助けたい」という思いや善意が、悪用されたり、悲しい結末に向かってしまったりすることは、残念なことだとも思います。

私自身も完璧ではないですが、もし、行動をしようかなという人にとって少しでも参考になればということで、以下にリスク面をより詳しく記載していきます。

 

*悪意は存在する 

【ちょいすけ】は性善説に立つとしていますが、これは、「利用者」について性善説に立って設計をしたというだけであり、「支援者」については異なります。

支援者のフリをした悪意が存在するのは、悲しいことに現実です。子育て世帯への支援に限らず、日常から弱者を狙った詐欺や悪質な行為があるのはもちろん、災害時を狙った詐欺や窃盗などもあるのが現実です。

ただでさえ限界の状態に近い「利用者」が、支援者のフリをした悪意を見極められるかどうかという点も「支援者」側がきちんと考え、利用者がより正確に判断が出来る環境を作ってあげることも「支援」の1つとして重要なことです。

「利用者」が適切な「支援者」を選べないのは自己責任と切り捨てるには、今回の支援の対象とする人達には負担が大きすぎるのではないでしょうか。そもそも、その気力が残っていたら、行政なり他のサービスを探しているはず。

そう感じたため、私は今回の【ちょいすけ】に賛同してくれる支援者からは、寄付や物品はいただくとしても、活動へ参加してもらうことは考えていません。悪意のない支援者かどうかを私が常に100%見極められるとは思えないほか、そういった精査する行為にさく時間も労力も持ち合わせていないためです。

 

*意図せぬ事故

よかれと思ってやったのに。こんなことになると思わなかった。想定外だった。

「支援者」にとって、そう言いたくなることが起きるかもしれません。でも、「利用者」はそれを納得できるでしょうか。「支援者」を責めつつ、その「支援者」を頼った自己をも責める。「支援者」もまた、自己を責めるでしょう。そして被害を被る可能性が最も高いのは、子どもであり、取り返しのつかないことになる可能性がついてまわります。

ママ友関係のこじれから、子どもが殺害された事件。じいじばあばの手元から子供が行方不明になる。親族の運転する車に子供が敷地内で轢かれる。学校や幼稚園、保育園などですら、子どもが不慮の事故に見舞われることはゼロではありません。

行政機関など公的なサービスには、まどろっこしい制約があったり、手間や時間がかかったりすることもありますが、それらの多くには、こういった「意図せぬ事故」を最小限にするための事項も多く存在します。

それを省略するということは、「支援者」側が自らそういった「意図せぬ事故」をなくすような環境を徹底的に整える必要もあります。

 

*足並みを揃えることの難しさ

例え同じ思いや願いで集まった集団であっても、10人いれば10人の価値観と経験や思考があります。同じママ同士だから、パパ同士だから、というだけでは対処できない事態も山ほどあります。

そして子供達もまた1人1人が異なり、「うちの子の時はこうだったよ」が当てはまらないことも当然にあります。

医師などの専門性の高い分野ですら、ある立場から見ればAとする方が望ましいと判断されるようなことも、別の立場からの最善のためにはBだと判断されることがあるなど、「子の最善」における正解は必ずしも1つとも限りません。

複数人で活動を行う場合において、その組織としての判断軸を明確にすることや、それが専門性としてどうなのかという判断を誰が行うのかということ。全員が守っているかの管理をし続け、守られていない行為に対して誰がどう対処し、責任を負うのか。

力を合わせて、手を取り合って、助け合おうという気持ち自体は素晴らしいことである一方で、同時に考慮しなくてはいけない課題もたくさんあることは事前の想定が必要と言えます。

 

*自己を守れるか

おぼれている人を助ける時に、正しい知識や技術を持ち合わせていない人が近寄ると、要救助者が増える結果になるように、「支援者」側がリスクを負うことも想定が必要です。特に、ママ同士、パパ同士と、現役で子育てをしている人は、そのリスクを自己だけが負うのではなく、そのお子さんにまで影響を及ぼすことも想定が必要です。

善意でしたはずのことでも、相手にとって不都合な結果となった場合に、想定している以上の非難を受けたり、物理的な攻撃を受けたり、訴訟や大きな事件に発展したりする可能性もあります。

近所付き合い、親戚付き合い、ママ友付き合い、などの間柄でも、どこかしらで事件が起きているのが日常です。意気投合して仲が良かった間柄でも、急に険悪な関係になることも普段からあります。

子育てに疲弊している人は、「正常」ではない状況にある可能性が非常に高く、そういった相手を前に、自分は知識や技術、経験を十分に積んで対応が出来るだろうか、ということを考えることは、相手のためだけでなく、自らを守るためにも、とても重要なことです。

 

 

何かあったら、それを背負っていかなくてはいけない。これは元々、保育園でも抱えていることです。そのリスクは、ボランティアでまで背負うべきことかどうか。正直わかりません。でも、このまま園で解消できない葛藤を抱え続けて、市内で誰かの限界が訪れたら、どうしてもう少しだけ早く動かなかったんだろうと後悔するなと思い、踏み切りました。

そして、活動は私1人でする、と言っていますが、厳密には1人ではありません。それはバックグラウンドに「何かあった時にお願いする先」というものがそれぞれに存在しているからです。そういった人達がいてくれるからこそ、動けます。

最後に、【ちょいすけ】はあくまでも緊急措置としての活動と考えています。ファミリー層の流入も数年内には落ち着きを見せるでしょうし、地域活性化が進んだり、行政サービスとの距離が縮まったりすることで、誰からも【ちょいすけ】が要らなくなるような環境になるといいなと、願っています。